『過食改善のヒント』のページです。

意識の学校~教材集~

過食改善のヒント

過食は代替行為です。

決して身体が求めて食べているのではありません。

 

求めているものは無意識下に隠された感情エネルギーの発散です。

だから身体は苦しんでいます。

 

過食は自傷行為です。

繰り返すたびに自己嫌悪と後悔と自己否定が蓄積されます。

 

いつの間にか後悔と自責の念が負のループを長引かせています。

そして身体は苦しんでいます。

 

 

過食を止めるためには何を食べるのかよりも、無意識下にある抑圧感情に気づく必要があります。

 

何故ならあなたの身体は決して飢えてはいないからです。

 

 

過食を手放すためには食べることそのものよりも、痩せることへの執着を手放す必要があります。

 

何故ならそれが反転反動を起こすことで、キリのない過食衝動を生み出しているからです。

 

 

過食を止めるためには自己嫌悪と自分を責めることを手放す必要があります。

 

何故なら過食とは代替行為と自傷行為だからです。

 

                 01

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本当に食べたかったですか?

 

本当にそんなに欲しかったですか?

 

本当は途中から衝動の中身が変わっていませんか?

 

 

あなたが聞いている身体の声は…

身体の声ではありません。

 

それは心の声です。

あなた自身によって抑圧されて押し込められた心の声です。

 

 

だから…

 

最初は食べたいと聞こえていた声が、途中から別の声に変わっています。

 

                 02

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過食の原因は身体の欲求ではありません。

肉体的欲求があったとしても、それは単なる食べ始めのきっかけに過ぎません。

 

過食の本当の原因は抑圧された感情エネルギーです。

 

無意識に押し込まれて自分から目を背けられた感情エネルギーです。

 

感情は自分を動かすエネルギーです。

流動する何かに表現されることを待つエネルギーです。

 

だからそれを止めたままにはできません。

いずれ堰を切ったようにそれは溢れ出します。

そして何かを破壊します。

 

過食というのは感情エネルギーを小出しに発散している状態です。

 

感じたくない、気づきたくない感情を発散する代替行為に過ぎません。

 

                 03

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過食を繰り返しているうちに、いつの間にか過食そのものが習慣になっています。

 

気がつけば苦しくなるまで食べないと気が済まなくなっていませんか?

 

気がつけば食べ始めから自己嫌悪までがルーティーンになっていませんか?

 

無意識は何度も繰り返される体験から学びます。

ひとつのプログラムとして学習します。

 

いつの間にかプログラムによって自動行動になっていませんか?

 

それがなければ何か寂しいような、そんなことを感じるようになっていませんか?

 

 

過食の原因となる無意識に抑圧された感情と、プログラム部分を別に見抜く必要があります。

 

                 04

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痩せることへの執着が過食衝動に大きく影響していることは確実です。

 

過食で悩んでいる人に聞いてみれば明らかです。

ほとんどの人が痩せることへの強い渇望を口にします。

 

でも、皮肉なことに過食すると太ります。

 

だから一人二役になります。

 

痩せようとする自分と、太ろうとする自分です。

 

これは非効率だと思いませんか?

まるで反対の方向に全力で走っているようなものです。

 

 

実は、無意識に隠された相反する願望がそれを創り出しています。

 

そのことに気づいて矛盾を失くすことができれば…

 

 

痩せることは何も難しくはありません。

 

過食を止めれば必然的に太らなくなります。

 

                 05

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摂食障害や過食症の原因として、よく母親との関係性があげられます。

 

それは事実だと思います。

 

もちろんすべての人がそうだとは思いません。

しかし母親との関係が強く影響していることは事実だと思います。

 

 

無意識の中に、ある時期に満たされなかった母親への渇望がある場合があります。

 

無意識の中に母親への非言語コミュニケーションが隠されている場合があります。

 

無意識の中に母親への怒りが隠されている場合があります。

 

無意識の中に母親への依存がある場合があります。

 

 

母親との関係性を変えることでそれらがクリアされます。

 

それは…

母親がすることではありません。

 

あなた自身がすることです。

 

あなたにはそれが可能です。

あなたの無意識プログラムなのですから。

 

                 06

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自分が目を背けているものはそんなに怖いものではないかもしれません。

 

本当はそれほど大きなものではないかもしれません。

 

目を背けているから…

それは巨大で手に負えないようなものに見えてるだけかもしれません。

 

 

どんな苦しみも。

 

どんな悲しみも。

 

どんな怒りも。

 

あなたより大きな感情や苦しみは存在しません。

 

何故なら、それはあなた”の”ものだから。

 

それはあなたそのものではありません。

 

                 07

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過食を作り出している犯人は、

 

もうひとりの自分です。

 

それは無意識下に抑圧された感情体とも呼ぶべき存在。

 

もうひとりの自分です。

 

 

だから、スイッチが入ってもうひとりの自分が暴れだせばどうすることもできません。

 

そして暴れるだけ暴れてその自分が去った時。

普段の自分に主導権が戻ってきます。

 

そしてできることは…

自己嫌悪と後悔だけです。

 

責める自分と、責められる自分の二人がいることがわかりますね。

 

無意識の中で分離した自分。

抑圧されて分離した感情体。

 

それがもうひとりの自分の正体です。

 

そしてそれこそが意に沿わない行動や過食を作り出す正体です。

 

                 08

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

無意識を理解してください。

 

過食を起こしているのは無意識なのですから。

 

そこにすべての原因と理由と、隠された目的が潜んでいます。

 

 

無意識プログラムからの解放が、あなた自身に自由を取り戻します。

 

 

 

【過食改善への10のヒント】

以下はステップメールとして公開されていた過食改善へのヒント集です。

テキストばかりになりますが興味ある方はご覧ください。

 

第1回~過食症状の違い~
 
過食、過食症、過食嘔吐、拒食…摂食障害。
それらはいったいどう違うのでしょうか?
単に表面的症状の違いだけなのでしょうか。
 
過食というのは簡単にいうと極度の食べ過ぎのことです。
誰にでも経験がありますよね。
食べ過ぎることぐらい。
ストレス喰いという一時的な食べ過ぎもこの範疇に入ります。
それが一定以上の頻度で起こりだすと過食症です。
 
人によっては週1度の休みの日になると一日中食べ続けてしまうという人もいるでしょう。
人によっては数日間続いては治まり、また数日間続いては治まる人もいるでしょう。
そして一定の時刻になると過食してしまう人もいれば、一人になったとたん過食が始まる人もいます。
中には実家に戻ったり家族と関わり合うことで過食が起きる人もいます。
 
人によってパターンやきっかけとなる状況は違いますが止めようとしても止まらない食べ過ぎが一定以上の頻度で起きる状態が過食症と分類されます。
 
過食嘔吐はそれに吐くという行為が連結したものです。
もちろん食べても太らないからと、吐き始める人がほとんどです。
しかしそれを続けていくうちに吐くことそのものが目的になってしまう人もいます。
吐かなければ気持ちが悪い、スッキリしない、気がおさまらない。
吐くことが目的となってしまっている場合の方が症状が重いことが多いと思います。
 
拒食は10代の死因のトップになるほど増え続けています。
生命の危険がありますので病院で緊急措置が取られる場合もあります。
しかしあくまで治すことより生命を守ることが目的とされる治療です。
人によっては病院での治療経験そのものがトラウマ化して問題が複雑化することもあります。
 
いずれにしても拒食という身体に負担をかけた行為を続けた後のリバウンドとして過食になることがほとんどです。
人によっては過食・拒食を繰り返すパターンもありますし過食ばかりが続く場合もあります。
 
上記したような過食や摂食障害で苦しんでいる人が増えています。
病院に入院したり通院したりしてもなかなか治らない。
現在の医療では治癒率が1%ないともいわれて難病指定されています。
お医者さんの中にも一生治りませんと断言する人達もいます。
 
しかしどうしても伝えたいことがあります。
それは過食や摂食障害はけして治らない病気ではないということです。
 
本人に治そうとする意志があればいつか必ず治ります。
そのことをまず認識してください。
誰かの言葉で勝手にあきらめたりしないでください。
 
過食は必ず治せます。
 
もちろん改善期間や効果的アプローチ方法は人によって変わります
けれど、本人が望めば必ずやめることができる行為です。
そのことを心にとめておいてください。
それが何より重要です。
 
 
第2回~過食を治すのは根本から
 
過食を改善する時に一番大切なことは何か?
それは原因となっている問題の本質に気づくということです。
 
過食や嘔吐に苦しむ人はどうしても食べ過ぎることや吐いてしまうことに囚われがちです。
食べることで苦しんでいるんだから当然のことだろう。
と思うかもしれませんが、しかしそれは問題の本質ではありません。
あくまで問題が表現された表面的形のひとつに過ぎません。
 
食べ過ぎるかどうか。
吐くかどうかだけに囚われていると根本的完治はなかなかできません。
痩せるか太るかも同じように表面的現象に過ぎません。
そこに囚われていると根本的解決はいつまでたっても起きません。
何度も何度も同じことを繰り返してしまいます。
 
ヒントがあります。
毎日過食を続けてきた人がここに来ると止まります。
1日何回も嘔吐を繰り返してどうしても止めることのできなかった人も止まります。
95%以上の人が止まります。
 
だからといってけして治ったわけではありません。
無意識の中のいくつかの理由によって表現としての過食や嘔吐が一時的に止まったに過ぎません。
しかしこれは実は重要なことです。
 
どんなにこらえようとしてもこらえきれなかった衝動がピタッと消えるのです。
言いかえれば過食衝動は簡単に消えるのです。
意識の焦点が変わることで衝動は消えます。
そこにある理由、衝動を作り出している原因となるものが変化を起こせば。
ピタッと消えるものなのです。
 
無意識の中のいくつかの条件が変わるだけで止まるのです。
それが実は重要なヒントです。
問題の本質部分に影響する変化が、過食衝動そのものを変化させるのです。
 
しかし、衝動を引き起こしている根本の部分に目を背けていると…
根本的に変化したわけではないから環境が変わると衝動が再発します。
ストレスを感じない環境にいるときは止まっていた衝動が、
元の生活環境に戻って以前のようなプレッシャーやストレスを感じてしまうことで衝動を引き起こします。
そして慣れ親しんだ過食という無意識下にセッティングされたパターン行動に飲み込まれてしまいます。
 
根本的要因となっていた部分が確実に変化を起こせば、実生活に戻っても過食はしません。
たまに過去のパターン行動によって食べ過ぎることがあってもその頻度も減ってゆきます。
 
問題の本質から目を背けなければ、けして何ともならないようなものではありません。
長い間過食や過食嘔吐で苦しんできた人は、衝動を必要以上に恐れています。
衝動に対して必要以上に無力になってしまっている人が多いのです
 
何年も何十年も過食に振り回される人のパターンとは。
過食するかしないかだけに意識が囚われている人です。
痩せるか太るのかだけに意識が囚われ続けている人です。
 
過食という問題の本質はけして食べ方の問題ではないのです。
痩せるか太るかというダイエットの問題ではないのです。
 
しかし意識がどうしてもそこに囚われてしまえば…
衝動が起こります。
不安と焦燥感に飲み込まれてしまうからです。
 
焦るとうまくいきません。
焦っても何も変わりません。
逆に、焦ってばかりいる人は本当に必要なことは何も行動しないことがあります。
焦るばかりで何もせずにプレッシャーにつぶされている場合さえあります。
 
焦るよりも、
不安に飲み込まれるよりも、
今必要とされていることを見極めて着実に動く必要があります。
それこそが現実を未来を切り開く力となります。
 
過食を治すには表面的な事象に囚われないことが重要です。
自分の問題の本質に気づいたら、それを手放すことに意識の焦点を合わせることです。
そうすればそこを変えることで過食という表面的行動が変化を起こします。
 
根本的な問題の本質は実はシンプルです。
それの表面的現れのひとつが過食や嘔吐なのです。
だから本質的エッセンスが変化を起こせば現れは自然に変化が起こります。
 
表面的なことに囚われ続けている限り、本質的問題は置き去りにされたままなのです。
 
 
第3回~自分のエネルギーの使い方
 
過食を治すというのはいったいどういうことなのでしょうか?
食べる量が変わること?
適切な食習慣を学べば変わるのでしょうか?
 
衝動が起きてもそれに振り回されない…
ガマン強くなればいいというのでしょうか?
 
そうではありません。
食べ過ぎが治るというのは表層に現れた行為の変化にすぎません。
もちろんそれは非常に重要なことなのですが。
 
過食を治すということは自分自身の意識エネルギーの使い方を変えるということです。
 
振り返ってみてください。
今まで過食や過食嘔吐・拒食・果ての無いダイエット・悩みと苦しみ・自己嫌悪…
そういったことにどれだけの時間を浪費してきましたか?
そしてどれだけのお金を浪費してきましたか?
もしかしたら有意義な対人関係を失くしてしまった方もいるかもしれません。
 
考えてみれば、それはそれは膨大なエネルギーを浪費してきていませんか?
そのエネルギーの焦点とベクトルを変えることこそが過食を治すことで得られる最も大きな成果です。
 
今まで浪費にばかり向いていたエネルギーを自分が望む方向に使いこなしてゆけることこそが過食を治す結果として得られる最大の成果です。
 
逆にいうと、過食を治すためにはエネルギーの使い方を変える必要があります。
そしてそれを実現してゆく中にこそ、新たなる可能性に溢れた自分自身そのものが見えてきます。
 
それを掴んでいった人達は、今までとまるで違う生き方をしています。
まるで違う人生を切り開いている人もいます。
同じように見えてもまるで中身の違う人生を楽しんでいる人もいます。
 
ある人達は自分の夢だった仕事について楽しく働いています。
ある人達はパートナーに出会って自分の家庭を築いて今ではりっぱなお母さんです。
ある人達は家族関係や仕事場での関係をまるで変えて別人のような交友関係の中に生きています。
 
いがみ合ってきた家族との関係がまるで変わった人。
新しく学校に行きだして資格を得るために頑張っている人。
新しい仕事を初めて新しい分野に挑戦している人。
新しいパートナーと出会い新しいステージに進んだ人。
 
どうしてそういった変化が起きるのか…
それは過食を治したからです。
過食という浪費エネルギーの使い方を変えていったからです。
 
自分の意識エネルギーの使い方が変わると周りが大きく変化していきます。
自分が変わることで行動が変わり、それが周囲に影響を与えてゆくからです。
その変化は想像するよりはるかに大きく早い時間で起こります。
 
振り返ってみてください。
あなたが浪費してきたエネルギーは実は膨大なものなのです。
意識してみると、繰り返しロスし続けてきたエネルギーはものすごく大きなものだったのではありませんか?
 
実はあなたは非常にパワフルな存在なのです。
普通以上に集中力と持続力に溢れた存在なのです。
これはけっして皮肉でもなんでもありません。
おおげさな言い方でもありません。
 
人間の内面的仕組みが理解できるようになれば誰でも自覚できることと思います。
自分のパワフルさが。
自分の可能性が。
 
それが戻ってきます。
それが今までとは違う方向に使われだします。
 
想像してみてください。
今まで過食や嘔吐に費やされてきた時間とエネルギーが違う何かに使われだした時のことを。
 
想像してみてください。
今まで浪費されてきた過食のための余計なお金がもっと有意義なことに投資されてゆくことを。
 
想像してみてください。
今まで不安や恐怖に使われていたエネルギーが希望や信頼に向けられていく時の人生の変わり方を。
 
それは可能です。
何故なら過食や嘔吐に使われていたエネルギーとは、けして悪いエネルギーなどではないからです。
それは実は単に自分自身が間違って行使されているにすぎません。
 
けっして自分を責めたりあきらめたりしないでください。
 
それは単なる意識というエネルギーの使い方の問題なのです。
単にエネルギーの使い方を間違えているにすぎません。
 
無意識化にあるプログラムのせいで。
 
 
第4回~マイナスとゼロの間
 
過食が何らかのきっかけで一時止まることがあります。
何かに気づいた時や自分を取り巻く状況が変化した時。
場合によっては自分では何故なのかわからないままに止まったり治まってきたり。
 
けれど、ほとんどの場合はまた繰り返すことになります。
数週間、数か月、何かのきっかけでまた過食や嘔吐の日々に逆戻り。
そんな自分にさらに自己嫌悪や絶望感をつのらせることもあります
それを繰り返せば繰り返すほど自信を失くして症状がひどくなる場合もあります。
 
いったい何故?
いったいどうして治ったはずの過食がぶり返してしまうのでしょうか。
それは根本にある原因と理由が解消されていない場合に起こります
 
衝動を作り出していた抑圧された感情やストレスが解放されたり、環境が変わって重圧が無くなったり。
そういった表面的変化がパターン化された過食行動を止めることがあります。
しかしその奥にある思考パターンや観念が書き換わってないと何かのきっかけで再発することがほとんどです。
 
ここに来て過食を改善しようとしている人達にもそのパターンをよく注意してもらいます。
ここにいるとたいていの人は過食が止まります。
それにはそれなりの理由があるのですが…
けして根本的理由が解決したからではありません。
この環境の中だからこそ止まっているに過ぎない場合があります。
 
ところがしばらくの間衝動が起きないことで、もう治ったと勘違いしてしまう人がいます。
「まだだよ」ということは伝えるのですが本人はもう治った気になっています。
もう二度と自分は過食なんかしない自信があるといって安心してしまいます。
 
喉元過ぎれば熱さ忘れるといったパターンには気をつける必要があります。
それが逆に完治を遅らせることにもなりかねません。
 
もちろん早い期間で完全に治る人もいます。
数日~1週間で治してしまう人もいることは事実です。
しかし、その人達は深い部分の原因となっていたことをしっかりクリアした人達なのです。
 
それを解決するための期間はけして皆が同じではありません。
短い時間でも自分次第で根本的解決をすることは不可能ではありません。
でも、それを見つめ直して自分を振り回してきた根本的原因を変えない限りは…
また繰り返してしまうことになるでしょう。
根本的に何も変わっていないのですから。
 
マイナスとゼロの間を行ったり来たりを繰り返してはいけません。
苦しくなってどうしようもなくなれば、何とかしようと重い腰を上げて…
そして喉元過ぎればホッして気を抜いてしまう。
 
それはマイナスとゼロの間を行き来しているだけなのです。
 
問題の本質を詰め切ることなく、今が楽になればすぐに目先を変えてしまいます。
そしてまたマイナスに落ちて苦しくなってしまう。
 
それを繰り返せば繰り返すほど無意識にはそれがパターン化されていきます。
無意識に自分への信頼を失っていきます。
自分とはそういった繰り返しを続ける存在だという認識を強めてしまいます。
 
それはよけいに自分を苦しめます。
マイナスとゼロの間の果てしない繰り返しは一生だって続けることが可能ですから。
仮に過食が消えてもそれに代わる何らかの問題を作り続けたりします。
 
プラスに進みましょう。
ゼロに戻したことで安心して終わるのではなく。
プラスへと進んでいきましょう。
 
それができれば今すぐに過食を完全に治すことができなくても、いずれ無くしてゆくことが可能になります。
プラスに進むということはけして今100%過食を治すことばかりではありません。
 
今、50%楽になるだけでもプラスに進む形での50%が存在します。
そうすれば次は60%、その次は70%と進めてゆくことが可能です。
そしていつか完全に過食を手放すこともできるでしょう。
 
ゼロを超えるということは根本的原因と理由に目を向けることです
それを恐れずに向かい合う覚悟を持つことです。
目先の変化ではなく奥底からの変化を決意することです。
 
そうすることで自分自身の新しい使い方が見えてきます。
新たな可能性とエネルギーの活用の仕方が見えてきます。
そうすればゼロを超えてプラスに進むことが可能です。
 
そしてもうひとつ大切なことがあります。
本当の意味でプラスに進むということの本質は…
 
自分が本当に望んでいることに気づくことです。
表面的な自我は不安や恐れを対象として行動しがちです。
 
要するにそれはブレーキなのです。
けして自分をどこまでも遠くへ連れて行ってくれるアクセルではないのです。
 
自分が本当は何を望んでいるのかに気づくことが必要です。
それは一時的にほっとしたり安心できたということではありません
 
人がプラスに進んでいくためには、恐れを超えてアクセルを踏み込んでゆく原動力が必要なのです。
それが希望です。
表面的な安堵感や一時的な安心感ではなく、奥底から自分が求める望みです。
 
永くゼロとマイナスの間を行き来していると、自分の本当の望みが見えなくなります。
しかし、自分に心から望むことがない人など存在していません。
 
それはただ見えなくなっているだけです。
いつの間にか忘れてしまっているだけです。
 
無意識層の下にはさらに大きな全体自己意識が存在しています。
そこには自分自身の原型ともよべるデザインがあります。
それに気づくことがプラスに向かう第一歩となり得ます。
 
表面的変化(例えば体重もそのひとつです)だけでなく根本から自分を変えようとしてみてください。
そこには自分だけの、自分だからこその希望があります。
 
そしてたった一歩でいいからプラスを体験してみましょう。
その一歩がさらに自分を前に進めていってくれる自信に変わっていきます。
そしていつか、10になって100になっている自分を体験していることと思います。
 
ブレーキをはずしましょう。
そしてアクセルを踏み込んでください。
それこそが自主性を持った自分だからこその人生を切り開きます。
 
 
第5回~希望と期待
 
過食が改善されることを期待している人がいます。
過食を改善することを希望している人がいます。
どう違うのでしょうか?
 
過食が改善されることを期待している人はいつまでもそれを繰り返すかもしれません。
しかし過食を改善することを希望している人はいつか必ず止められます。
 
期待と希望。
それをごちゃまぜにしていませんか?
 
期待とは待つことです。
自分が変わらないままで何かが変わることをただ待っているだけです。
そしていつもと同じ成果が得られます。
 
あたりまえです。
自分が何も変わってはいないのですから。
 
それに対して希望というのは自分がそれを求めてゆく行為です。
自分が求める成果のためには自分さえ変えてゆくことを意味しています。
自分がそれを望むということは必要ならば今の自分を変えてゆく覚悟と決意を要しているということです。
 
待つのか。
望むのか。
 
それが大きな違いを作り出してゆきます。
それこそが過食改善の成否を決めているといっても過言ではないと思います。
 
期待している人というのは自分が何も行動しません。
自分が何も差し出そうとはしません。
自分を何も変えようとはしません。
 
なのに新しい成果を得られることを願って何もしないで待ち続けています。
都合のよい現実が突然起きることを待ち続けています。
誰かが何かを準備してくれて用意してくれて目の前が変化することを夢見ています。
それが期待です。
 
そして期待している人は、実のところその期待が裏切られることを無意識的に想定している場合さえあります。
「どうせ、きっと失敗するに違いない」
「どうせまた、うまくゆかないだろう…」
無意識的には実は正反対のことを信念として持ち続けていたりする場合があります。
 
そうなると大変です。
自分がいくら期待していても。
自分の無意識がそれはうまくゆかないと否定しているのですから。
 
得られることはひとつだけです。
「ほ~ら、やっぱりそうだと思ってたんだ…」
そんな自分へのなぐさめ的な自己内予言成就しか手に入りません。
 
過食してしまうには理由があります。
それは自分が気がついていないような考え方や信じ込みから形成されています。
自分ではあたりまえすぎて振り返ることすらない思考パターンです
 
それが結果として自分を苦しめる体験を作り出しています。
だから過食をやめるということは自分の中の何かを変えてゆく必要があるということです。
 
それは自発的な行為なのです。
ただ待っているだけでは何も変わりようがありません。
 
望みを大切にしてください。
希望を持ち続けてください。
純粋に望み続けてください。
 
あきらめる必要などありません。
そして、自分が望むことだからこそいつか手にしてください。
 
そのために必要な変化は積極的に受け入れてください。
何故なら、新しい何かを手に入れるということは
今の自分を変えるということだからです。
今の自分の中の何かを変えてゆくことです。
 
自分が何も変わらなければ手にする成果は今までと同じです。
自分が変わることで周りが変化していきます。
自分が変わることで手にする成果が変わってきます。
 
過食を改善するのはあなたです。
だからまずあなた自身が望んでください。
 
期待と希望は大きく違います。
 
 
第6回~奥底に眠る本当の理由
 
過食や嘔吐には目の前の現実的状況や出来事だけでなく心の奥に隠された原因があります。
奥底に隠されているもの…
それは無意識に隠された目的です。
 
頭に、知覚できている目的とは違います。
無意識下に隠れて自分を動かし続けている認識できていない目的のことです。
 
例えば、過食によって太ったからという理由で学校へ行けない、仕事へ行けない…
そういって引きこもってしまう人がいます。
頭では太ってしまって恥ずかしいから行けないのだと考えています
 
ところが、実のところは、
『会社や学校に行きたくない』から太ることもあるのです。
隠された目的を達成するための理由付けが太ることであって手段が過食である場合があるのです。
 
そういった場合のほとんどが自分の奥底に隠されている本当の理由に気づくことができません。
まさかそんな理由で自分が過食して苦しんでいるなどと夢にも思わない人がほとんどです。
 
ここで自分の無意識を見つめ直す作業をしたりするうちにそれに気づく人がいます。
もしくはヒプノによるトランスによって潜在意識の力を借りて初めてそれに気づく人もいます。
 
そして驚きます。
自分が無意識で何をしていたのか。
何を達成し続けていたのかに気づくとびっくりする人がほとんどです。
 
過食を改善するためには無意識下にあって自分を突き動かしている目的に気づくことが大切です。
過食を改善するということは無意識下に隠された目的と考え方を変えることで成されます。
 
上記のように学校や会社に行くことが苦痛になっていることこそが真の理由である場合。
無意識下においてはこんなふうな考え方が隠されているかもしれません。
 
「私はみんなから認めてもらえない」
「私は人から愛されない」
「私はみんなから認めてもらう価値がない」
「私は人から愛される自信がない」
 
だから人の中に入ってゆくことが怖くなります。
だから必要以上に他人からの評価が気になっていつも他人の目を意識してしまいます。
 
その結果、人が周りにいることが重圧に感じるかもしれません。
人の中にいるだけで気づかれし続けてしまうかもしれません。
 
そして人の中から逃げ出すための手段として過食が始まる場合もあります。
太ったことを理由づけにして引きこもりが始まる場合があります。
 
過食は代替行為です。
けして本来の目的が食べ過ぎなのではありません。
それがもし本来の目的ならば、いっぱい食べた後は満足して次の日はもうしないことでしょう。
 
代替行為だからこそ真に満足することがありません。
次の日もそのまた次の日も続くのはそれが何かの代替え的行為だからという証明です。
本当に望んでいることは満たされていないということです。
 
自分の無意識に隠された影の目的を見抜いてください。
それができると過食を改善する次のステージに登れます。
それに気づくと解決するためのアプローチを始められます。
 
あなたの過食の隠された理由は何ですか?
無意識の目的は何でしょうか?
 
無意識は頭にとってはとんでもない論理で動いていることがあります。
まさかと思うような論理で自分をパターン行動させていることがあります。
 
自分に騙されないでください。
自分のことを最もだますのは他の誰でもない自分自身です。
 
 
第7回~きっかけ、そして根本的理由
 
過食のきっかけとなった出来事があります。
それは行き過ぎたダイエットによるリバウンドとして始まったり。
拒食症に対する反動として始まったり。
職場や学校での過度の精神的ストレスによって始まることもあります。
 
 
これらのきっかけは実は本質的原因ではない場合がほとんどです。
無意識の奥でもっと以前から内在していたものが表に顕在化し始めた時のきっかけである場合がほとんどです。
 
しかし、時にはきっかけとなっている出来事からストレートに根本的原因となっている観念が明確になり改善される場合もあります。
 
ある人の場合は小学生の時から過食嘔吐が始まりました。
あるスポーツのジュニア選手だった彼女はいくつもの大会で優勝を重ねて周囲の大人達に期待され続けていました。
そして5年生の頃、急速に発達してゆく身体と増えてゆく食事量。
 
それはけっして特別に食べ過ぎていたわけではありません。
育ちざかりの肉体にとって自然なことだったでしょう。
 
しかし身体が成長して体重が増えてゆくことが不利なことであるとコーチは信じ込んでいました。
 
「食べるなら吐け」
それがコーチからの命令でした。
 
そこから10数年間、彼女は毎日吐き続けていたのです。
競技を引退した後もずっとです。
 
 
彼女の場合、きっかけはコーチの言葉でした。
しかしその後ろに隠されていたものは…
コーチ、そして親、周りの大人たちへの恨み。
幼い自分にそれぞれの理由で無理をさせ続けていた大人たちへの怒りです。
 
それをきっかけに始まった「痩せていなければならない」という強迫観念。
そうでなければ周りから認めてもらえない=価値がない=愛されないという観念です。
そこに気づいて古い観念や抑え込んできた感情を手放してゆくことで過食嘔吐が消えてゆきました。
 
「私は元気なポッチャリになる(笑)」
彼女が自分を縛り続けてきた強迫観念から自由になるために宣言したときの言葉です。
 
コーチと親を許して、その後ろに隠れていた長年の執着を手放した時、
「痩せていなければ私には価値がない」
「周囲の期待に応えなければ私には価値がない」
そういった無意識の奥底で自分を縛り付けてきた観念から彼女は解放されました。。
 
その後、彼女はメールでこんなことを送ってきてくれました。
「近頃信じられないくらいモテるんです。もしかして人生最高のモテ期に入っちゃったかも」
今まで、どこか固いイメージだった彼女が、
周囲には、より女性的により魅力的に写るようになっていったのだと思います
 
そして彼女は素敵な旦那さんと結婚しました。
そして幸せに暮らしています。
 
この人の場合はかなり極端に思えるきっかけかもしれません。
しかし人によっては参考になる部分もあることと思います。
 
実際に他の競技やバレエにおいて同じような体験をして過食や過食嘔吐を続けてきた人を何人も見てきました。
 
小学校時代から何らかの競技や学業で実績をあげて周りから期待されていた経験のある人。
中学高校時代のクラブ活動での指導がきっかけで過食や過食嘔吐が始まった人…
途中でその期待に応えられなくなろうが、今も期待に応え続けていようが、
どちらの場合も過食や過食嘔吐の原因となり得ます。
 
そこでの重圧や厳しすぎた指導への反動。
いまだに無意識で続く痩せることに対する強迫観念。
 
それらの抑圧感情から解放されたい思いの代替行為として。
それらに反抗したい欲求の言葉にならない訴えとして。
期待に応えなければならないという重圧感から目を背ける行為として。
 
太ることへの罪悪感。
期待に応えられないことへの罪悪感。
そういう自分に対する自傷欲求。
 
そんな想いと思考が無意識の奥に今も継続されている場合があります。
人によっては、
そんな観念が今現在も継続されていることが根本的理由となっている場合があります。
 
 
第8回~過食を手放した人のその後
 
この夏、以前ここで過食を治していった何人もの人達が遊びに来てくれました。
もちろん中には未だに過食と悪戦苦闘している人だっています。
 
そんな中でとても嬉しかったある人との出来事をお伝えします。
 
 
彼女がここで3ヵ月半の長期滞在をしたのは3年前の夏です。
 
大学を卒業して新卒として会社に入社して働き始めたのですが、2週間でそこをやめてしまいました。
理由は過食です。
そして鬱です。
 
太ってしまった自分を他人に見られるのが苦しくてとうとう会社にも行けなくなってしまったのです。
 
当時彼女は祖母と二人で暮らしていたのですが、その祖母との折り合いが悪く毎日お互いに罵り合っていたそうです
 
毎晩夢の中で自分と祖母が殺し合っている…
どちらかが相手を刺殺しているような夢ばかり見ていたそうです。
 
そんな家を逃げ出すためにここに来て長期滞在してヘルパーとなってからも調子悪い状態が長く続きました。
最初の頃は何もできなくて、ただただ寝ているばかりで。
合宿の参加者からも苦情が来たことさえありました。
本当に何もやる気のない、何の希望もない、ただ毎日をダラダラ過ごすだけ。
 
そんなどうしようもない状態が長かったことを覚えています。
 
 
しかし、そんな彼女がある講義の時に大きく変化を起こしました。
 
自分の未来のシュミレーションを体感しながらやっている時です。
 
人目をはばからず彼女は泣き出しました。
けれどその涙は悲しい涙ではなく気づきと感謝の涙でした。
 
それからです。
彼女がどんどん変わっていったのは。
 
ここから出てその日の夜にテレビ番組の中で紹介されていた幼児から小学生のためのある塾に感銘を受けたらしいです。
そしてすぐにその塾のことを調べて、電話して。
東京まで押しかけ面接に出かけたのです。
 
無理やり頼み込んで何とかアルバイトとして雇ってもらって。
お金も済むところもないから塾の人に相談して住み込みで働けるシェアハウスを紹介してもらって。
そしてなんと2週間後には一人上京して生まれて初めての東京での生活を始めました。
 
その後、正式な社員となって今は自分のクラスを担当しています。
そして休みが取れるとこちらに遊びに来ます。
 
過食して、引きこもって、祖母といがみ合って、世の中を恨んでいじけていた彼女。
何もできなくていつも一人泣いてばかりいた彼女。
 
その娘が今はりっぱな先生です。
 
理想を持って自分を磨き続けているりっぱな一人前の女性です。
 
朝8時から終電まで働くことも多いといいます。
休日出勤もしょっちゅうだといいます。
 
けれどとても元気です。
情熱と自信にあふれたすばらしい講師です。先生です。
 
「私が自信あることは、子供たちと遊ぶこと!」
 
はっきりとそう断言します。
 
 
今回、帰る直前に私と二人でお寿司を食べに行きました。
その時に嬉しかったことがあります。
 
昔は何かを食べに連れてゆくと目の色が変わりました。
食べ物を目の前にすると本当に目の色が顔つきが変わったのです。
どうしても食べることに対する執着が極端に出ていました。
 
しかし今の彼女は。。。
 
カウンターで好きなものを握ってもらいながら、ゆっくりと楽しんで味わっています。
そしてお腹が満足したらそれ以上は食べません。
 
「もう十分です。ごちそうさま」
そういって感謝して食事を終る彼女。
 
食べることが、食べ方が彼女の成長と変化を教えてくれます。
 
 
過食は治ります。
そして人は変わります。
人は自分が望むように人生を生きることができます。
 
人によってそれは何回も失敗を繰り返すこともあるかもしれません
人によってそれは時間がかかる場合もあるでしょう。
しかし必ず治すことは可能です。
 
本人が求める限り、あきらめない限りは必ず止めることが可能です。
 
ここに遊びに来る多くの人達ひとりひとりがそれを証明しています
 
 
第9回~過食を作り出している考え方
 
人の行動はその人がどういった考え方を持っているのかによって変わります。
特に無意識下にある思考パターンと呼ばれる考え方のクセはその人の行動パターンを自動的反応的に作り出しています。
 
もちろん過食には人それぞれにいろんな理由が隠されています。
原因となった出来事や無意識下に隠された目的は人によってさまざまです。
 
しかし、過食には共通の観念があります。
摂食障害・過食・ダイエットのリバウンド。
それらすべてに共通した考え方があります。
 
それは、白か黒か。100か0か。右か左か。善か悪か。正しいか間違ってるか。
そういった物事を二極化する考え方です。
それこそが過食で苦しむほとんどの人に共通した考え方です。
 
過食の原因となる無意識下の抑圧感情や隠された目的。
それに加えて二極化思考が合わさることで拒食・過食・過食嘔吐が引き起こされている。
2000人以上の過食で苦しむ人達と向かい合ってきた私の正直な見解です。
 
どうしてその考え方が過食を引き起こしてしまうのでしょうか?
 
わかりやすい例を挙げると、
「食べるか、食べないか」になります。
 
痩せるためには食べなければいい…
そういう極端な行動につながります。
そして反動が起きれば過食。
 
食べても吐いたら太らない…
そして過食嘔吐。
 
食べたら太る…
だから食べることが怖い。
 
痩せてなければならない…
太ってたら恥ずかしくて外に出れない。
 
一口食べてしまったから…
もういくら食べてもいっしょ。
 
要するに両極端になってしまうのです。
 
バランス、中庸といったことが抜け落ちてしまいます。
100か0か、白か黒かになってしまうのです。
 
もちろん上記したのはほんの一例に過ぎません。
実際にはいくらでも極端な思考、反応、行動パターンが存在します。
 
そしてその極端な思考によって本人はいつもプレッシャーを感じているのです。
いつも心の中で何かに追われ続けてしまうのです。
そのプレッシャーでストレスだらけになってしまっているのです。
 
中にはそんな自分のことを完璧主義だというふうに認識されている人もいます。
 
ある意味そうなのです。
完璧か、そうでない駄目な自分か、に判別して自分自身を追い込んでしまっている場合もあります。
 
一度、自分自身を客観的に振り返ってみてください。
 
自分を良いか悪いかで判別してしまってはいませんか?
自分を痩せてるか太っているかで判別してしまっていませんか?
自分を勝手な思い込みによって美くしいか醜いかに判別してしまっていませんか?
 
それをすればするほど自分が苦しくなります。
その考え方を食事やダイエットに持ち込めば摂食障害になります。
 
何故なら身体はバランスでできているからです。
食べるという行為は身体の声を聴いてバランスを取り戻してあげる行為だからです。
ダイエットは身体のバランスを整えてあげる行為だからです。
 
 
第10回~何を怖れていますか?
 
過食衝動が起きる瞬間があります。
あなたはどんな時に衝動を感じてそれに振り回されているのでしょうか?
 
人によってはパターンが明確な場合もあります。
例えば、一人になったときに。
例えば時間が空いて何もすることがないときに。
例えば何かが不安になったときに。
例えば家族や恋人とケンカした時に。
例えば仕事で失敗して上司に叱られたときに。
 
決まってあるシチュエーションになると過食衝動が起きる…というようなパターンがありますか?
そういった自分の状況と過食衝動が起きることに一定のパターンや関連性を感じますか?
 
もしそうであるならば。
こう考えてみてください。
 
私はいったいどんな恐れに向き合うことから目を背けようとしているのだろうか?」
 
他人といる緊張感でしょうか?
それとも孤独でしょうか?
誰かから嫌われることでしょうか?
将来への不安でしょうか?
失敗することでしょうか?
 
過食衝動の後ろに隠れているものは人によって違います。
しかし、どんな感情やストレスもつきつめてゆくとある感情に突き当たります。
それが恐れです。
 
衝動とは、自分が感じたくない(と無意識下で思っている)感情から目を背けるために起きる代替的反応です。
 
自分が最も恐れている感情を感じないですむようにすることが目的で起きています。
違う何かに意識の焦点を合わせることでそれを回避するための行為です。
 
表面の意識はそれに気づかないまま代替的行動に目を向けます。
それが一種の自己防衛行動となっているからです。
 
だから本当は食べることや吐くこととは関係のない、本来の問題をそのままにしたまま延々と繰り返します。
 
目的はあくまで目の前の行為によって本当の問題から目をそらすことにあるわけですから。
何度繰り返しても満足も解決も起こり得ません。
 
人は無意識下に抑圧している「恐れ」を感じてしまいそうになると、反射的に目をそらそうとします。
目をそらした先がたとえもっと辛い結果を生み出してもそんなことはおかまいなしです。
 
無意識層にあるシステムは良い悪い、幸か不幸か、などといったことを基準にして動いてはいません。
その行動の結果として本人がどれだけ苦しもうが喜ぼうかそんな基準では動いていないのです。
 
無意識にあるシステムにそういった自動回避行動をセットしてしまうと。
延々と代替行為がパターン化されて起きてきます。
 
無意識にとってはそれは命令されたパターン反応パターン行動を忠実に遂行しているだけのことです。
本人の意識がどんなに苦しんだりしていてもそれに気づきません。
 
過食改善までの道のりの中でひとつの大きな山。
それが自分が無意識下において抱え込んでいる「深い恐れ」に気づくということです。
 
自分が本当は何を恐れているのか。
本当は何を恐れてそのことを感じないように逃避しようとしているのか。
 
もしかすると、太ることよりも太った自分がどうみられるのかが怖いのかもしれません。
他人から嫌われることが怖くていつも自分が我慢することでストレスが溜まっているのかもしれません。
 
他人からの評価を怖れるあまり何もかも拒否せずに自分が引き受けているのかもしれません。
失敗することが怖くて自分が本当にいきたい道へ踏み出すことを怖れているのかもしれません。
 
元気になって親や周りから心配されたり気にかけられなくなることを怖れている人だっています。
人間関係を怖れてダイエットや食べることの世界に引きこもっている人もいます。
 
本当は何を怖れているのでしょうか?
本当は何から目を背けようとしているのでしょうか?
 
それに気づくと次のステージへと進むことが可能になります。
 
その恐れから自分を解放すること。
その恐れから自分が自由になること。
それが過食を改善してゆくことにつながります。
 
代替行為というものは何かから目を背けて替わりの何かで埋め合わす行為だからです。
 
問題の焦点がわからないうちは人は無力です。
自分が無意識に何をしているのかわからないまま表現された行動だけを見て苦しんでいるうちは何も変えられません。
 
どんなに意志を強く持っても気力を振り絞ってみても。
焦点が合わないうちは労力は効率的には活かせません。
 
まずは自分の恐れに気づいてみてください。
 
それはけして怖れと戦ってくださいといっているのではありません
怖れの正体に気づくということです。
それが最初の一歩となります。
 
実は、恐れには実体がありません。
それに縛られているうちは本人には想像もできないことかもしれません。
しかしそれは間違いのない事実です。
 
恐れを支えているものは「理解の欠如」です。
ちゃんと見つめないままに自分自身がまるで怪物のように育て上げた幻想にすぎません。
 
その恐れがさまざまな問題を引き起こしています。
自分を追い詰め、身体を痛めて、大切な人生を苦しみで埋め合わせてしまいます。
 
食べること、痩せることだけではありません。
人間関係にも、恋愛にも、仕事にもそれらは投影され続けています。
 
ここで過食を手放していく人達はみなその恐れから解放されていった人達です。
 
それを見つめて、それを理解して、それが信じていたほどに絶対的なものではないことに気づいた人達です。
 
それに気づかないうちは、どうしても恐れから目を背けることが優先されているうちは過食を繰り返してしまいます。
過食で苦しむほうが、恐れていることを見つめるよりも楽なふうに感じているうちは手放すことができないからです。
 
そのためにここでは無意識の仕組みや全体自己意識を学びます。
それが理解できてくると自分の全体像が見えてくるからです。
けして自分が恐れという幻想から目を背けることも逃げ回る必要もないことが理解できるからです。
 
そして実は…
恐れの奥には希望が隠されています。
それはまるでパンドラの箱そのものです。
そこにたどりつけば過食だけでなくすべてにおいて変化が起こります。
 
無意識や全体自己意識のことが理解できてくれば、本来の自分が見えてきます。
そうすれば本来の自分を取り戻すことが可能になります。
 
それは、
 
恐れというブレーキから自由になって、希望というアクセルを踏み込む本当の自分です。